資産運用で貯まったおかねの使い方と遺し方に思いを巡らす。遺すおかねに対する執着は捨てよう。

資産運用で貯まったおかねの使い方と遺し方に思いを巡らす。遺すおかねに対する執着は捨てよう。

資産運用を始めてしばらくすると、おかねが貯まる流れができあがります。家計のやりくりに配当金などを加えて、おかねが自然と貯まる設計図ができあがるんですね。

そうすると急に心配になるのが「貯めたおかねはいつ使うん?」と云う問題です。ついこの間までおかねが無い無いと困っていたくせして、生意気ですよね…笑

 
 

貯めたおかねの処理の仕方

資産運用により貯まったおかねは、いずれくる終末に向けてどのように処理をするべきでしょうか。

おかねを使い切る

我が家はおかねを貯めすぎぬよう都度々々適度に使って処理しています。とはいえそれは戦略的に計算ずくでそうしていると云うよりは、単に支出の欲を叶えるための処置であります。毎月配当エリアの配当収入は全額を旅行積立にまわして季節ごとの旅行に利用しています。

さて、ではそうして適度に使い、そうして死ぬまでにうまくおかねを使い切る。自分で働いて作ったおかねや自分でリスクを取って生んだおかねではありませんか、自分で使い切らずにどうする?そういう思いがそもそもの「貯めたおかねはいつ使うん?」と云う問題の根幹にあるわけです。この発想は焦りを生みますね。

いつ死ぬかわからんから老後の資金を貯めるのに、死期にあわせておかねを使い切るなんてできるわけがありませんよね。

おかねを遺す

と云うことで貯めたおかねは遺すと云うのが正しいのだろうなと思います。

あなたから子へ、子から孫へ、悠久のときを超えて子々孫々と受け継がれる 株なんて凄く詩的で素敵ではありませんか?w

しかし我が家には子どもが居ません。

なのでこんな簡単には片付かないのですよね。おかねを貯めるのにも、おかねを使うのにも、おかねを遺すのにもそれぞれの事情があるので通り一遍、教科書通りには参らないと云うところが人生の難しさであり愉しさでありますね。

おかねの遺し方をイメージしておく

子どもが居ないのでおかねをどう遺したら良いのだろう。まだぜんぜんピンピンと生きているのですが、イメージしておきます。

甥っ子・姪っ子たちに遺す?

我が家には子がありませんが、兄と妹の家庭にはあわせて8人の甥っ子・姪っ子がおり、一族としては正直少子化どこお?!てくらい、十二分な繁栄をしておるのです。

いずれの家庭もおかねに困っては居なさそうだけれども、あって邪魔になるものでもありませんし、彼らのために遺すと云うのはアリです。

ただ妹は兎も角兄に向けて遺すのはイヤ(幼少時代の虐待の数々…!)だし、生々しさを薄めるためにも兄・妹を越えて甥っ子・姪っ子どもに渡るようにしたい。

遺言には「有価証券を換金してはならぬ」と添える。一族の中の管理人を決めて、一滴々々コップから零れる配当収入を平時は再投資に充て、時機がくれば一族のために利用する。額はわずかでも、そのたびに「このおかねは昔千鳥足さんと云うおじさんが居てな…」と語り継がれ、感謝の気持ちと「なんでこんなクソ株ばっかなんだろうな…」と云う嘲りが渦巻くわけですね。「んだよ、どうせならもっと当たり株買っとけやボケェ」と云う一族の怒りが天まで聴こえてくるやも知れません。

…。

いや、なんですかこのシナリオは。死後にまで自己愛を持ち込むようではちとキモチワルイ。

多種多様な方面に寄付する

甥っ子・姪っ子など親族に宛てて遺すと上記のように自己愛・自己顕示欲が紛れ込んで、死後もヤキモキ・ハァハァ、承認欲求で苦しみそうなので、もういっそそういう思いが届かない方面・何の係累も無い方面に寄付するのが心理的にはよろしいかも知れません。

Google で「遺産 寄付」で検索すれば受け入れ先団体がワラワラ出てきます。国境なき医師団、世界の難民支援、貧しい子供たち、盲導犬…etc。選択肢は色々ありそうです。でも僕の心が汚れているのか、どれも「ちゃんと困っている人におかねが届くの?」と疑わしく思っちゃうんだよなあ。こういう団体・基金のおかねの流れってきちんとオープンになっているんかしら。元気なうちに調査しておく必要がありますね。

夫婦で海外に移住し家政婦のメイに寄付する

もう現役はいいやってなったら引退して、夫婦で海外にでも移住する。2人とも老いているので家政婦…メイと名付けよう…を雇い、そして生活の面倒を見てもらう。

そして夫婦の最期には、遺産はメイに渡そう。

メイにはメイの生活があるので、有価証券を換金してはならぬなどとうるさいことは四の五の言わず、ポイと渡そう。

「アイツラヤット死ンダヨ!」

メイはそう言って心から笑い、その日は11人の子どもたちに豪華な夕食を振舞い、翌日にはちょっと気の利いた服を贈り、そして子どもたちの進学費用などに充てるかも知れない。まあどうでもいい、僕が知ったこっちゃない、それでいいよ。

遺すおかねの使い道にまで執着するのは醜い

なんだか考えているうちに、自分自身の妙なこだわりが透けて見えてしまい、逆にどうでもよいと云う気持ちが芽生えました。死後に遺したおかねの使い道にまであれこれ注文を付けるのって、なんだか意地汚いですよね。

あんまり注文も付けずにどこぞの団体なり個人なりに寄付するとしようか。

まあ、そもそも「おかねが貯まる流れ」の設計図の精度次第では、一切貯まっていないのかもですけどね…笑 捕らぬ狸の皮算用で、まだあるかもわからない遺産について妄想を巡らせてみた次第であります!

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